眼科諸流派の秘伝書(12)
21 酣韶流眼書十二切紙巻
酣韶流眼科を伝えるものとしては『酣韶流眼書』、『眼薬能制之記』(織豊、慶庵著?、杏雨書屋蔵書目録)、『酣韶流眼目秘薬』(慶庵写、富士川文庫)等が知られているが、その眼科は内薬、指薬(煉薬を用う)および洗薬を主として、ヌル金、アツ金、引き刀、灸法等を用いた、と天正17年の跛文ある『慶庵治眼方』という写本に記されているとの報告もある。『酣韶流眼書十二切紙巻』なる古写本も酣韶流眼科を伝える秘伝書にして、ここに紹介するものである。
この古写本には『酣韶流眼書十二切紙巻|の他、麻嶋流および眼科諸流派の秘伝が併記されているが、その麻嶋流は尾州大山之住人麻嶋若狭守林活、防州山口之住人麻嶋勝右衛門尉清房、丹州之住人麻嶋平左衛門尉吉勝相伝の『麻嶋灌頂小鏡一紙之巻』が記述され、諸流派の秘伝には『眼薬能製之記』、『家伝印可方』、『煉薬之秘方』、『夢想秘伝』、『漢昌流印可秘方』、『一流指薬』、『秘伝書印可方』等各1巻ものとして抜粋的に併記されている。
『酣韶流眼書十二切紙巻』は五臓六腑眼病論、病之コト、十二切紙巻、蒸薬之方、極意之薬、目見様之、膏薬之コト、小児疳之目等の見出しによって、片仮名混りの和文にておよそ24葉を要し記述されている。
この流派の眼病治療法は前述のように内薬、指薬および洗薬など、いわゆる薬物療法が主であって、薬物の主なものとして、
龍脳散、 真珠散、 大真珠明眼散、 明上散、石膏散、塩硝散、白礬散、麝香散、決明散、代緒石散、香蘇散、白竜散、 龍丹散、
五霊膏、 竜脳膏、 竜明散、寿記散、仙散膏、 虎謄散、 玉明膏、 照明散、 丹生膏、洗白散、人魚散、退珠散等が使用されたようである。また、
ヌル金、アツ金、引き刀、灸法等も用いられ
たように記述されている。しかし、内障の治療法にはやはり針が使用されたごとく、"内障に針を立てる次第のこと"の項に次の様に記されている。『内障二針ヲ立テ、ウミヲ取コト一度二度ニテハ出サルナリ、三度四度モ立テ、イマタソコニウミノ有ヲ見定テ其ウミノチカキ方ヲ四方ヲキラワズ立ルヘシ、アヤマチナキ物ナリ、
ウミ出テ後セイセイトスル也、代赭石散ヲ可指、 口伝有之、黄内障二針ヲ立ル次第ノコト、三ケ月ナリノ中ホトヨリ立テ、一方ノ手先能能ヒネリマハシテウミフ取也、又次ノ日カ若一日アイダヲ置テ前ノ針ノロキハヨリ針ヲ立、一方ノウミノアル手先マテヨクヨクヒネリマワシテウミヲ取也、其後二針間ノ膿アラハ三日モ四日モ過テ下遍ヨリ針ヲ立テ二度ノ針ノ間ノウミヲ能能取也、
ウミ出テ後三度ノ針口クホク成コトアリ、其ノ時ハ亦ヌル金ヲ当テ薬ヲ可指也、白石脂一、滑石一、真珠二、ス子二、天石三、麝香少、以上六種調合シテ針ノクホクナル所ニロ可指也、白内障二針ヲ立ル次第ノコト、上ヨリ三度ヒネルヲハ空進ノ針卜云也、針ニナラヘテ立ルヲアイシント云也』。
このようにこの秘伝書には黄内障、白内障のみについて針による療法が記されているがともかくこの流派の内障治療に針を立てる法が行われたとみることができる。また、この流派では以下のような薬物処方則を定めて十三方の切紙次第を設けてその妙方となしている。
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1方: |
e1両、和石1分朱半、ろう(石+良)同、硫2朱、雲1宇、寥。 |
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2方: |
el両、和石1分、ろう(石+良)同、硫2朱、雲l、寥。 |
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3方: |
相 磨、辰砂。 |
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4方: |
相 砕、楼石同、辰砂同。 |
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5方: |
硫3、球2、e4、楼l、ろう(石+良)1、雲1、寥。 |
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6方: |
生8、竜1、丹l、蓬砂4、辰砂4、虎肉1、楼、相。 |
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7方: |
el、硫1、和石1、寥。 |
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8方: |
倍石1、雲1、星。 |
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9方: |
珎1分朱半、楼1分、雲朱半、相。 |
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10方 |
俵1朱、金薄1枚、乳ノシル。 |
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11方 |
ろう(石+良)1両、石膏1両、白竜2朱、竜2朱、和石1両、射少。 |
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12方: |
ろう(石+良)1両、石膏1両、白竜2朱、竜2朱、和石1両、射少、硫。 |
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13方: |
倍石1、蛇骨1、白石脂1、角石2、白竜3、牡蛎4、すい(草かんむりにふるとり)子4、貝子5、天石6. |
これらの方を使用の間、病気の状態と変化に応じて他の指薬を加え用いるように指示している。
このように『酣韶流眼書十二切紙巻』はこの流派の1部分を窺い知ることはできるが、その創始については、なお末詳である。ただこの流派の眼科を伝える資料に天正17年の跛文ある『慶庵治限方』という秘伝書が挙げられている(小川剣三郎著『橋本日本眼科小史』)ところより考察してその興りは織豊時代にさかのぼるのではなかろうか。そしてこの『眼書十二切紙巻』が享保12年12月上旬諏訪姓忠寄写と記されていることよりこの流派は江戸時代半頃まで一派を形成したものと思われる。
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