眼科諸流派の秘伝書(14)
23.眼科大秘伝保済新流
わが国江戸時代の眼科諸流派の秘伝書には種々の流派名が付けられているが、いずれも原は中国古医方眼科を祖述したものが多く、その内容の根本的差異は少ない。ただ、
より日本人に適合する医療に近づけるために少しでも他より優れた治療方法なり、薬物処方などを創意工夫してきたと思われる。そこに一流一派が興り諸流派が生れたものと考えられる。
眼科古写本の中には諸流派の秘伝書を抜粋して一つの秘伝書となしているものもある。 『眼病門 眼目一巻』という眼科古写本には鷹取氏の眼目秘伝、ホスミー流秘伝、真嶋一流の秘伝(寛永元年)あるいは且来村(あっそむら)常念寺伝方等を集めて一書としている。しかし、
こうした類の古写本には原本を後世になって書写相伝したものが多い。
『眼科大秘伝保済新流』は前記のごとく後世において記述されたものと思われるが、保済新流と別伝流の秘伝を眼病絵入の和文で記述したもので、墨付73丁
全1冊 横長(14×18cm)の写本である。
本書の内容はその目録によると眼目論に始まり、 藤膜、簾膜、外障、風眼、黒、赤、白、黄、青、石内障および中障等およそ50余種の眼病症論、諸々禁物、好物、諸疾洗薬および内薬50餘種の薬性論を挙げ、最後に脈のとり方を図示した脈論を附記している。
本書の眼病症論には保済流と別伝流の双方を併記している。その一例を内障についてみると次のように記している。
「黄内障ハ?ノ目ノ如クニシテ人見大二成物ナリ針ハ悪ス、内薬、洗薬肝養ナリ、此保済流ニハ白内障、黄内障ハニ三歳モヘテモ針ニテ癒ル、針二口伝有り、青内障ハ人見大キク成テ青ク見エル成り、別伝流ニハ人見青花ノ様成ルヲ青内障卜云成り、多クハ肝臓ノ病ナリ、石内障ハ人見無ク成ルモノナリ、針ヲ不用、洗薬、内薬ハ肝養ナリ、別伝流二云石内障トハ風気中風煩テ廿日後三十日ノ内二煩ヲ石内障卜云成り、口伝多シ」
本書に述べられている別伝流とは如何なる流派をいうのであろうか、筆者の蔵書の中に『眼目秘伝別伝流真嶋流』(50丁、全1冊、和文)という古写本があるが、これが内容と『眼科大秘伝保済新流』に述べられている別伝流の記述内容がはぼ同様である。この別伝流では内障の治療を重視し、その治療法に優れていたものだろうか。
"七種ノ内障ヲ分知訣"の項に次のごとくのべている。
「白内障、黄内障ハニ三年モ経テ針ヲシテ癒、 但立ヤウアリ、其外ハ不癒、古人モ不治卜云リ、此別伝流ハ五十日、或ハー年ホドニシテ何ノ内障ヲモ癒スロ伝」
とあり、別伝流は内障治療に対する相当の自信があったことをうかがわせてぃる。
本書の奥書には
「慶長丙元年ヨリ明治末四年迄二百七拾七年間 間嶋保済流 明治壬甲五年改 大秘伝保済新流 羽前国村山郡万善寺村(現山形県村山市長善寺?) 菅原敬斎印」
とあり、間嶋流眼科の問人が間嶋保済流を名乗り、それが更に菅原敬斎に相伝され、保済新流と改名されたものと思われる。
このように『眼科大秘伝保済新流』は間嶋保済流限科を受継いだ秘伝書とみられるが、間嶋(真嶋)流眼科の分派と思われる一本『別伝流眼科秘伝書』とも異なる内容であって、別伝流と保済新流を併記している処が本書の特徴である。
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