眼科諸流派の秘伝書(19)
28. 山口道本内障一流養生的伝鏡秘術事
本書の外題は『目薬一通』となっているが内題には『山口道本内障一流養生的伝鏡秘術事』と書かれており、山口流眼科の秘法を伝えたものと思われる。
山口流限科の資料は極めて少なく、その詳細は明らかでないが、小川剣三郎著『稿本日本眼科小史』、富士川滋著『日本医学史』、福島義一著『日本眼科史』(日本眼科全書第一巻)等には山口流眼科内障治術について解説が行われている。山口道本は安土桃山時代末から江戸時代初め、すなわち天正から慶長年代の頃、内障眼の治術をもって馬島流限科とは別に一流派をなしていたといわれる。
掲出の写本はその識語によれば寛永11年(1634)、鈴木加兵衛尉より山本弥五右衛門に伝えられたものを、延宝8年(1680)豊俊という人が写し伝えたものと思われる。
本書は表紙を含め全1冊18葉(20×15cm)よりなる小冊子であるが、記述は片仮名漢字交り文で、五臓病因説、内障眼養生之事、針立様之事、眼病療治薬種加減之事、法度禁物之事、能毒等について述べたものである。もとよりその内容は中国明代の医説により、眼病の原因を五臓に求めて説いているところは馬島流眼科等と同様である。
山口流眼科が内障眼の治術に他の流派より優れていたかどうか明らかではないが、本書は内障眼治療について主に記述している。
内障眼の指薬としては黒内障には金明丹、紫金膏、明珠散。白内障には金明丹、龍脳散、清明丹。青内障には金明丹、清明丹。片方内障、他方赤膜には内障の方へは金明丹、清明丹、赤膜の方へは紫金膏、清明丹。
瘡を煩って後の内障には竜脳散、清明丹等が用いられたようであり、内障眼の指薬には初めに金明丹を、最後に清明丹を用い、その疾患の種類や煩いの程度によって紫金膏、明珠散、竜脳散などが使用されたようである。
また、内障眼には針を立てて叶うものと叶わぬものとがあることを次のように述べている。
黒内障は養生しても無駄であり、針を刺しても叶わず、すなわちこれは治らない。黄内障は針を刺しても叶わず、すなわち治らない。白内障は自然針を刺せば膿が出て能くなる。血内障は針を刺してみる。石内障は針を刺してみる。青内障は針を一度刺してみると治るか否か判断がつく、針を刺してみる。中障は先ず竜脳散を指して、内薬も肝要。
また"針立様之事"の項においては次の様にしるしている。
『膿二二色有、膿内障卜云ハ如何ニモ膿ネバル也、是ハ針数二十度モ立ル也、何モ七日ネサセズ三日横ネシテ又立ル也、水内障卜云者如何ニモ膿ネバラザル也、是ハ針一二本ノウチニテ明也』
この記述は白内障に硬性と軟性との別があることを手術によって経験的に知っていたことを示すものである(福島義一著『日本の眼科』)といわれている。
次に針を刺す(手術?)際の要領について二、三挙げている。
内障針の当所の事:『人見卜白眼ノ間髪筋三筋ノ間ヲオイテ立ル』
針の分量の事:『深サ三分也、 能立テ廻ス事五六度程廻ス、亦廻シモドス事三度ニテヌク』
針坪の事:『上下悪キ也、眼頭、眼尻之方能也』
『針立ル日ハ内薬本煎三服呑ミ、 物ニヨリカカラセ、少シ間ヲオイテ呑也』
内障の針を立つ時の指薬:『活石、石叟明、 石膏、天石、丁番、代赭石、竜脳、蕉貝』
目の灸の事:『肺三心、五肝九牌十一腎、拾四亦ハ足ノ三里』
『如斯二薬ヲ呑針ヲ立ルモ養生無ハ詮無ク、能々養生スベシ』
次に眼病療治の項では各種眼病図、およそ21図を彩色して描き、その治療法をのべている。ここに挙げられた眼病には、藤膜、杉膜、
月輪、 天障、浮障、努肉、爛目倒睫、 タイハホシ、アマノジャク、風より起る目、カマキリ、 痘、 疹、 スマル、 ?肉、
タホミ、 ヤミ目、 マケヒル、外障、血目、等があり、また治療に用いられた主な薬として指薬に、清明丹、黒梅散、軽明丹、竜丹膏、辰砂散、軽丹膏、竜脳散、内薬には四物湯、補血円、
ま
た、 ヌル金、アツ金等も使用された模様である。こうした治療でどの程度治癒したものか明らかでない。しかしここで膜蛭?に翼状贅片手術を行っていると思われる記述があり、次のごとく記している。
『是者此様成カギニテハショリ、 ソロソロト掛切取、其アトニアツカネヲ少ヅツアテテ間二指薬清明丹細々可指掛薬バカリデハキカズ、
ヨクヨク可治。』
この他、本書の末尾数葉には竜脳の他およそ60餘種の能毒について記述している。
山口流眼科の秘伝書としては『山口道本内證一流養生伝○(白+反)鏡巻』著者未詳、 享保6(1721)年写本、 1冊。『山口流口授眼科』他一巻、
編者末詳、 清震堂写本1冊。『山口流滴伝鏡| 一巻、 山口自賛(道本)著、 慶長19年秘伝本より昭和2年(1927)小川剣三郎写(杏雨書屋蔵書目録)。『眼科書』、山口道本、
写本(京都大学冨士川文庫)等が挙げられているが、これら内容については未調査である。
この様に本書は安上桃山時代から江戸時代初期に興った山口流眼科の秘法を伝えたものであると思われるが、寛永11年および延宝8年等再三書写相伝され、記述の内容も誤まり伝えられた部分や訂正された箇処があったかもしれない。
ともかく、この時代、山口流眼科において不治の内障眼を診断する方法や内障に膿のねばる膿内障と膿のねばらない水内障の様な異なる二つの内障眼があることを、針を立てる(手術)ことによって経験的に知っていたということ、また、翼状贅片手術のごときも行われていたこと等を本書によって窺い知ることができる。
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