この様に本書はことごとく内経の要旨、『素問』、『霊枢』を初め、劉完素、張従正、李東垣、朱丹渓ならびに儒医の諸書の法を基礎として、多くの医家の秘方もとり入れ、さらに自己の経験を加えて、詠訣、病論、治法、方薬の順に記述し、分類法も内容についても詳細で初学者にとっては恰好の指南書であり、既成の医家にも切要の医書とされた。
『萬病回春』の編集者キョウ廷賢( 江石、金溪の人、字は子歳、号は雲林)は大変秀才で、父のキョウ信(字を瑞芝、号は西園)も医者であったといわれ、『古今医鑑(8巻)等を撰した。廷賢の撰著には『萬病回春』の他に次のもの等が知られている。
『寿世保元』(10巻)、『済世全書』(8巻)、『医学準縄』、『雲林医聖普渡慈航』(8巻)、『魯府禁方』、『雲林神コウ』(4巻)、『痘疹辨疑全幼録』(3巻)、『復明眼方外科神験全方』(6巻)、『秘授眼科百効全書』(3巻)、『種杏仙方』、『本草定衡』等、これらの中、『秘授眼科百効全書』は中国明代眼科専門書の一つに数えられるものである。
『萬病回春』は朝鮮李朝後半期には?信原撰『古今医鑑』より更に重用され、『医学入門』および『医学正伝』に次いで広く用いられた(三木栄著『朝鮮医学史及び疾病史』)。わが国においても『大和本草』や『養生訓』等を著わした貝原益軒(名は篤信、字を子誠、通称久兵衛益軒と号した)は父寛斎より『医学正伝』、『医方選要』、『萬病回春』等を学んだ(服部敏良著『江戸時代の医学史の研究』)といわれ、その医学修得に本書の影響力もかなりあったものと思われる。
『萬病回春』がわが国に何時入ってきたか明確ではないが、川瀬一馬博士によると、龍門文庫蔵の一本に、慶長16年(1611)曲直瀬延寿院玄朔の跛文刊語のある古活字版『萬病回春』があるがそれに「萬病回春之書先是本朝既有刊行云云」とあり、
この刊語によると本書(慶長16年刊本)より先行の『萬病回春』の刊本もあったものと思われる、と述べられている。
このように本書は江戸時代以前から大陸版、翻刻本が出ていたものと考えられるが、江戸時代になってからの開板も決して少なくなく目録に挙げられているものを一嘗しただけでも以下のもの等がある。
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『萬病回春抄』 慶長18年(1613)刊
『萬病回春』 元和6年(1620)刊
『新編萬病回春』 寛永6年(1629)刊
『萬病回春』 正保4年(1647)刊
『新刊萬病回春』 慶安4年(1651)刊
『新刊萬病回春』 寛文元年(1661)刊
『新刊萬病回春』 延宝2年(1674)刊
『新刊萬病回春』 天和2年(1682)刊
『新刊萬病回春』 貞享4年(1687)刊
『萬病回春』 元禄12年(1699)刊
等々。 |
こうしてみると、『萬病回春』が約1世紀近くにわたりその内容もほとんど改められることなく重刊されたことは、本書がいかに多くの読者を得ていたかが窺える、と同時にわが国の医学に多大の影響をおよぼした医書の一つということができる。
参考文献
キョウ廷賢: 『萬病回春』巻1−8 明、萬暦17年(1589)刊(萃慶堂余泗泉)
キョウ廷賢: 『萬病回春』巻1−8 正保4年(1647)刊
キョウ廷賢: 『萬病回春』巻1−8 貞享4年(1687)植村藤右衛門刊
鎌田禎志庸校訂: 『漢土諸家人物誌(中)』須原茂兵衛 寛政12年刊
三木榮: 『朝鮮医学史及疾病史』p.309〜310 大阪・堺 1963
三木榮: 『朝鮮医書誌』p.288 大阪・堺 1956
三木榮: 『体系世界医学史 W部』p.27 医歯薬出版 東京 1972
白井光太郎: 『日本博物学年表』丁22 丸善 東京 1891
丹波元胤: 『中国醫藉考』人民衛生出版社 北京 1956
川瀬一馬: 『増補 古活字版の研究』p.748〜749、753、The antiquarian Booksellers
Association of Japan 1976
服部敏良: 『江戸時代医学史の研究』p.69 吉川弘文館 東京 1978
小川剣三郎: 『稿本日本眼科小史 9』吐鳳堂 東京 1904
福島義一・山賀勇: 『日本眼科全書 第1巻 眼科史』21 金原出版 東京 1954
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