本書は万暦18年に初刊本(金陵本)が出版されて以来、多くの読者をもったものと思われる。したがってその中国版もその後万暦31年に刊行された江西本の他幾種類もでている。その主なものだけでも30種以上におよぶ(龍伯堅:『現存本草書録』等参照)。
本書のわが国への舶載年代はさだかではないが、慶長12年(1607)に林羅山(信勝、道春1583〜1657)が長崎に赴いた折、本書(金陵本?)を得て駿府の家康に献じたのが最初といわれている。また、曲直瀬(一浜)道三所作の『薬性能毒』(寛永6年開板)に書かれた慶長13年(1608)曲直瀬(玄朔)道三の識語に「本草綱目来朝予検閲之○(てへんに庶)至要之語又之増添云云」とあるように慶長年代には確かに本書の明版がわが国に渡来していて、その閲読もされていたとも考えられる。その後、本書の利用は慶長17年(1612)林羅山が『本草綱目』を抜粋上梓して『多識編』(5巻、『古今和名本草丼異名』)を著わしたのを初め、以下に挙げるようなものが次々と翻刻され、また本書に関連をもつ能毒書等が陸続として著わされた。
『本草綱目』の和刻本にはおよそ次の刊本が知られている。
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1) |
寛永14年(1638)刊、江西本草綱目 |
石渠閣にて重訂した江西本を底本にして京都の書肆野田弥次右衛門の開板 |
2) |
承応2年(1653)
重訂本草綱目、附、脈学奇経八脈攷 |
本文は寛永本と同一であるが、附図を明の崇禎13年(1640)に出た武林銭衙版によって改め、野田弥次右衛門の開板 |
3) |
萬治2年(1659)
重訂本草綱目、附、脈学奇経八脈攷 |
武林銭衛版によって野村観斎が訓点を施した |
4) |
寛文9年(1669)
重訂本草綱目、附、脈学奇経八脈攷 |
松下見林により万治本を校訂し、京都、風月堂開板(一名篆字本) |
5) |
寛文12年(1672)校正本草綱目 附、脈学奇経八脈攷、本草綱目品目
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本草名物附録
貝原益軒(篤信)が崇禎本に訓点を施す |
6) |
正徳4年(1714)
新校正本草綱目 附、脈学奇経八脈攷、本草綱目図、結圭居別集、本草図翼 |
稲生若水が承応2年版を校訂し、唐本屋八郎兵衛刊行 |
7) |
補注本草綱目 |
大正4年(1915)から同7年(1918)にかけて半田屋より刊行、多紀安元の遺稿とされている(岡西為人著『中国医書本草考』による) |
この様に『本草綱目』は鉱物、植物、動物にわたる薬物全般を網羅した大著で、いわゆる医学書ではないが眼科疾病を初め各種疾病の治療に用いられる薬物の書として大いに役立った貴重な文献の一つである。ただ、本書は古来百般にわたる諸文献を包含するあまり、医学者専門の立場から幾何かの批評はある。ともかく著者李時珍畢生の大著として高く評価さるべきである。
参考文献
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白井光太郎・鈴木真海: |
頭註国訳本草綱目. 第2冊323
春陽堂、東京、1929. |
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白井光太郎: |
本朝所傳の支那本草書並に和刻本草綱目に就て. 中外医事新報
No.1158、
163、 日本医史学会、東京、1930. |
|
中尾萬三: |
本草の名称起源. 中外医事新報No.1212、434、
日本医史学会、東京、1934. |
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下中弥二郎: |
大百科事典 24(1)、24、
平凡社、東京、1940 |
|
龍伯堅: |
現存本草書録. 人民衛生出版社、北京、1957. |
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清水藤太郎: |
日本薬学史.64、南山堂、
東京、1949. |
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日本学士院・岡西為人: |
明治前日本薬物学史2.
184、 日本学術振興会、東京、1958. |
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日本学士院・上野益三: |
明治前日本薬物学史1.
117〜130、日本学術振興会、東京、1960. |
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石原 明: |
おもかげとしごと. 15、医歯薬出版、東京、1961. |
|
岡西為人: |
金元本草の特徴とその成立の過程. 日本医史学雑誌、
13:2、69、1967. |
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吉田一郎: |
江戸期の中国系薬物書概観
日本医史学雑誌、 15 : 1、 49、 1969. |
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岡西為人: |
中国医書本草考. 442、南大阪印刷センター、大阪、1974. |
|
長谷川国雄: |
中國の古典名著 総解鋭、
307、 自由国民社、東京、1976. |