『支那ノ眼科史卜蘭学的歴史ヲ述ブレバ、 日本眼科史ノ大概ハ知り得ベキナリ』(河本重次郎博士)という様に、わが国の眼科史は極めて中国(明。清代まで)の眼科史と関係が深い。また同時にその発展の過程においては眼科諸流派の存在が大きな位置を占めている。
わが国の眼科諸流派はその雄たる馬嶋流を初め次々と興り、殊に室町、安土桃山時代以降江戸時代半頃にかけてはかなりの数の眼科諸流派が興亡した。そこで筆者の手許にある資料によって眼科諸流派を紹介する。
1.竹王山御夢想眼科書
この「竹工山御夢想眼科秘伝:11はいわゆる夢のお告げ的秘伝書で、 1冊(7葉)の横長本であるが、初めに34個の淡彩色の眼病図(絵)とその病名を挙げ、次に眼目見分様の事、眼中五臓のこと、絵図による仏説五臓論のこと、当流三薬、正明散、洗薬万金湯、ただれ目のぬり薬等について述べたものである。
この秘伝書はその文面によれば、延宝5年(1677)8月15日、竹中兵右衛門尉。他が相伝するものにして、その眼科は肥前国下松浦(現佐賀県地方)竹王山妙覚院大泉寺、竹王山権現より御夢想の秘伝として授り興ったものであるという意味が書かれている。
この秘伝書に掲げられた彩色絵図は仏説により薬師如来、観世音菩薩、阿弥陀如来、釋迦如来、不動明王、 と東、南、西、北、中、空、風、火、水、地、五臓六腑と背椎および身体髪膚各部と"眼"との関係を観念的解剖図的表現によって描いたもので、如何にも"六根具足"の仏教義の影響の強かったことを物語っている。
この様にこの流派の眼科は仏教々義の上から説かれた観念的なもので、医療の中に依然として仏説が根強く存在していることを表わしている。このことはわが国中世医学の一つの特色とされている点でもある。
* 六根: 眼、 耳、 鼻、 舌、 身、 意がその対象に対して感覚認識作用をする場合、
そのよりどころとなる作用を有するもの、 すなわち視覚器官(視神経) とそれによる視覚能力(眼根)、聴覚(耳根)、嗅覚(鼻根)、味覚(舌根)および触覚器官、触覚能力(身根)の五根と思惟器官とその能力(意根)とを合せて六根という。
( 中村元監修、 石田瑞麿他著、『新仏教辞典』による)
2.雲州薬師如来目伝印可巻
この秘伝書は出雲国嶋根郡市畑村、薬師如来夢想の秘法として江戸時代延宝年間(延宝8年正月18日)小笠原閑照斎、同閑秀斎、同栄朱斎が伝授されたものを、後世、元文年間
(元文4年4月16日)に小場道桂という者によって相伝されたものと思われるが、和装、 1冊、15薬程の小冊である。
この流派の秘伝とするところ、内容的には薬物処方による薬物療法が主で、いわゆる、地方の寺社に伝わる夢のお告げ的で、信仰色豊かである。
なお、現在、島根県平田市小境町に一畑寺薬師と呼ばれる名寺があり、これが市畑薬師とどういう関係があるか明らかでないが、一畑薬師は医王山一畑寺(臨済宗)と称し、およそ寛平年間(西歴889〜897)佐香村字赤浦の海中から出現したともいわれる薬師如来を本尊に補然和尚(与市)が開基した名寺にして、後、尼子経久、毛利元就、吉川元春、松平直政等の信仰が厚く、殊にこの薬師堂および籠堂には古くから多くの信者、主に眼病患者が参籠して呪文の声が堂内奥深く満ちていたといわれ、薬師仏は眼病に霊験著しく全国各地からの参詣者も多いときく。
参考文献
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石原 明 |
明治前日本医学史(日本学士院編)、2.日本生理学前史.71.
日本学術振興会、 東京、 1955. |
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中泉行正 |
明治前日本医学史(日本学士院編)、4.日本眼科史.319.日本学術振興会、東京、1964. |
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福島義一・山賀 勇 |
日本眼科全書: (日本眼科学会編)、1.眼科史、
1.日本眼科史、 61 金原出版、東京、1954. |
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河本重次郎 |
日本眼科の由来及日本に於ける蘭学の本源につき、日眼、4: 184−214、327−364、1900. |
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小川剣三郎 |
稿本日本眼科小史57、吐鳳堂、
東京、1901. |
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石原 明 |
医史学概説.164.医学書院、
東京、1955. |
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横田全治 |
諸国盲人伝説集.50.大阪、1953. |
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福永勝美 |
仏教医学詳説.雄山閣、 東京、1972. |
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図1 竹王山御夢想眼科秘伝書絵図。延宝5年。
仏説に基づいて眼と五蔵六腑との関係を解剖図的に説明している。
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図2 竹王山御夢想眼科秘伝書絵図。
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図3 竹王山御夢想眼科秘伝書絵図。
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図4 竹王山御夢想眼科秘伝書絵図。奥書。
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図5 雲州市畑薬師夢想目伝印可巻。
元文4年頃の写本。
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