15.実相院流一流一巻
古来、病に悩める人々の神仏信仰は殊に厚かった様であるが、そうした信仰の『場』となったのが神社や寺院である。眼科諸流派の中でも馬嶋流(明眼院)、
根来流(根来不動院)
あるいは医王山高田寺、雲州一畑薬師の流派等 そこで創められたと伝えられる眼病治療も僧侶によるものが多く、寺社との関係も深かった様である。
実相院流もそうした寺院等から興った流派とも思われるが、その伝えられる秘伝書『一流一巻』を掲出する。
この『一流一巻』という秘伝書は実相院流の秘伝を伝えたものであると巻末に書かれているが、実相院流についてはその起源、創始者等調査及ばず明らかでない。ちなみに、大事典(平凡社)には摂家門跡の一つに実相院がある。その条下に『天台宗寺門派の大本山、実相院門跡、又は岩倉門跡と称す。京都府愛宕岩倉にあり、寛喜年間(1229〜1231)浄基の建立。浄基は関白近衛基通の曽孫、鷹司兼基の子で、出家して実相院と称し、天台の座主となった人』とあるが、本書と実相院流派との関係は審かではない。
この秘伝書は本誌前号(『臨眼』36巻6号)に掲出の『天真流目之療治略書』と同様な筆跡にして、片仮名を混えた『〜
ゾ』という語尾が用いられているところなど、そのもとは近世の初め頃の秘伝かとも考えられる。 しかし、本書の表題には『清眼医方』『療目集』『療目通用方』『眼痘通用方』『眼華通用方』等数種及んでおり、また、『清眼医方』と『療目集』には同一眼病に対する治療法も異なる方法が延べられている等のことから二、三の流派の秘伝書を集めて実相院流として後世何人かによって書写相伝されたものとも考えられる。
『実相院流一流一巻』は上下2冊(1針和綴、15・5 × 21.5cm)の写本である。第1冊(120丁)には『清眼医方』(上中下)、『療目通用方』(上中下)、『療目集』、第2冊(56丁)は『眼痘通用方』、『眼華通用方』が収載されている。
『清眼医方』上中下は各巻を以下の様な病門に分けてその治療法と用薬処方を記述している。
上巻: 外障、病目、蠅翳、痘瘡目、疹目、唐瘡目、打目、撞目、 目草平。
中巻: 中障、風毒膜、藤膜、峯雲、星目、○=(虫の上にノ)膜。
下巻: 内障(白、青、黄、赤、黒、石)、小児、 雀目、 丁目、老眼。
次に『療目通用方』上中下には婦人の産前産後における眼疾とその治療法及び用薬加減について細かく述べている。『療目集』はおよそ次の病門を挙げてその治療法を記している。病目、外障、内障(青、黄、赤、自、黒)丁目、中障、草膜、
目蛭、風毒膜、蠅翳膜、○=(虫の上にノ)膜、縛膜、峯雲膜、目弱、藤膜、 目草平、月輪、血ノ道目。
『眼痘通用方』および『眼華通用方』では小児痘疹と小児眼疾についてそれぞれ、主として指薬、 洗薬、 内薬、丸薬、散薬および膏薬等を用いた薬物治療法をその処方とともに記述している。また、この秘伝書の第1冊に記載されている『療目集』の次には当流薬種併惣名として、石薬: 明石を初めおよそ60首、指薬: 外障散等71首
膏薬: 白礬膏他2首、洗薬: 黄連湯等22首、筒蒸葉: 防風湯他2首等列挙している。
このように本書は実相院流一子相伝の秘伝書として、内容は近世初期頃の眼病治療法、殊に婦人の産前産後における限病治療、小児痘疹と眼病について、主にその薬物療法を記述したものであり、眼病と他疾患との関係、眼科と他科との関連を記述している秘伝書とみることができる。
|
|
|
|
図1 実相院流諸之?附。当流ては指薬、洗薬、内業、丸業、散薬、膏薬等それぞれの符号をつけてわかりよくし、それらの混同なきよう努めている。
|
|
|
|
|
|
図2 療目集の眼療法。本文は『ゾ』式文で書かれている。
|
|
|
|
|
|
図3 眼痘通用方初
|
|
|
|
|
|
図4 眼華通用方初
|
|
16.医王山高田寺奄室坊眼目秘書
本書は尾州春日郡医王山高田寺奄室坊一流秘伝を伝える眼科秘伝書である。この秘伝書の識に「… 、今度不慮伊勢守比国被牢人候所屋形様之為御意花光寺御宿被仰付
候条○(=竹の右側がにんべん)寮重阿弥陀仏伊勢守殿御立寄毛頭不残是伝云…永禄二歳己未十二月廿八日 医王山高田寺金蔵坊
卜三在判 越前国府中花光寺 ○(=竹の右側がにんべん)寮重阿弥陀仏」とあり、本書が永禄2年(1559)に相伝されたことがわかる。しかし、その巻末に「文政五歳
中六月初旬写之○(=こざとへんにのぶん」高橋ノ政義雲達」と識されていることにより、本書が実際に系書写されたのは文政年間のことであったようである。
本書は墨付42丁、全1冊(26.5×18.5Cm)の和本であるが、前半35葉は高田寺流眼目療治の秘伝を、後半7葉は『馬嶋流眼目病証之図』を収載したものである。
そもそも医王山高田寺流眼科とはどんな流派の眼科であったのだろうか。この医王山高田寺一流の方は中国唐代より明代に伝わり、
日本には孔龍僧都という人によって伝えられた。それ故、この高田寺流を孔龍僧都流ともいわれる。
この流派は仏説による病理論をもって五臓六腑と眼との関係を説き、眼の療治を行ったものと思われるが、その関係表式を次のごとく掲げている。
眼中五臓之本地知○(=古の下に叉)(高田寺一流之伝)
瞳子、腎臓、本地、釈迦如来、水、味塩、色黒、冬司(耳・骨・歯)
黒眼、肝臓、本地、薬師如来、 水、 味酢、 色青、 春司(眼・筋・爪)
白眼、肺臓、本地、阿弥陀如来、金、味辛、色白、秋司 (鼻。皮・息)
眼胞、牌臓、本地、大日如来、土、味甘、色黄、土用司(唇・肉。予L)
血筋、心臓、本地、観世音菩薩、火、味苔、色赤、夏司(舌・血・毛)。
本書には眼の療治次第の事、内障、外障、撞目、目菌 等を挙げている外、薬性味之事項には龍脳他およそ30種の眼薬の秘薬を挙げ、龍脳散、真珠故、虎肉散、虎膽散、明眼散、明珠散、珍珠散、龍丹香等が用いられたようであるが、中でも開元銭、黄○(=くさかんむりに壁)等15種の秘薬を調合してつくられた龍丹香は本地薬師より直伝の大秘薬にして高田寺に代々伝えられたという。
この様に『医王山高田寺奄室坊眼目秘書|は尾州春日郡医王山高田寺流眼科を伝えたものであり、その病理論は前記表式のごとき仏説によって解説されたものであるが、眼の療治方法等には『真嶋流灌頂小鏡之巻』なども参照されている部分も見受けられる。したがって本書秘伝の源流も中国明代の眼科書に求められるのではなかろうか。
|
|
|
|
図5 医王山高田寺菴室坊眼目秘書。巻頭。 |
|
|
|
|
|
図6 医王山高田寺金蔵坊 永禄2年(1559)相伝 識 (文政年間転写) |
|
|