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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。

この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 眼科諸流派の秘伝書 (29)

38.『古今精選眼科方筌』です。

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38.古今精選眼科方笙

 伊達62万石で知られる仙台藩は早くより西欧文化に接し、殊に蘭方医学に対して進取的であった。

 寛政10年12月、藩医木村寿禎(1774〜1834)が刑屍を解剖して蘭文を附した解剖供養碑を建てたと伝えられ、この頃仙台藩においては刑屍の解剖が行われていたことが窺われる。この解剖は仙台藩において第一号であったが当時の仙台藩の漢方医家の間では刑屍解剖に反対の声が高かったといわれている。

 こうした刑屍解剖が漸く行われるようになった時代、仙台藩に一人の眼科志望の俊才が生れた、中目道cその人である。

 中目道c (名=普A号=樗山、1808〜1854)は文化5年、仙台藩医中目道怡の次男に生れたが早くより眼科を志し、年わずか17歳の頃家をでて各地の眼科名家を遍く訪ね道を問うたと伝えられる。道cが各地を歴訪し、京阪にあった頃、江戸に土生玄碩、土生玄昌、徳島に高錦国、大阪に高良斉、武蔵に本庄普―、尾張に馬嶋円如、筑前に田原養柏、信州に竹内新八郎、三河には竹内玄洞等が眼科名家としてきこえ、それぞれに白内障手術等にも優れていたので、道cはこうした大家を訪れて、彼の念願である白内障手術の腕をみがくことに努めたものと思われる。

 中目流眼科は中目道cによって創始され、その眼科は道cの著述『古今精選眼科方笙』、『古今精選目病真論』等によってほぼ窺い知ることができる。また、彼の著述には上記の他に『眼科摘要』(全1冊)、『眼科療治雑話』(全1冊)、『中目本草』(天地2冊)、『眼科錦嚢正誤』(全1冊)および『眼科真宝|(全1冊)等が中目氏金井堂著述書目にしるされている。

『古今精選眼科方笙』は薬剤について、 また『古今精選目病真論』は手術療法について記述されたものであるが、その眼科はいわゆる漢蘭折衷眼科に類する。彼は漢蘭の眼科書を多年読んで、その理を考える時、論説こそ多少の差はあるが、その治術においてはほとんど異なることはない、どうして蘭方のみ信用するのであろうか。と漢方が蘭方にひけをとらないことを力説し、白内障手術に自信をもっていたことがうかがわれる。

『古今精選眼科方笙』は中目樗山(道c)輯著、 中目光俊(道琳)、田原太玄(鐸)同校、嘉永3年(1850)丹波頼之、藤澤甫、広瀬謙等序、賀川普跛刊、前後篇2冊(18.3×12cm)よりなる。
前篇: 病目處剤論、洗眼點膏外用方、湯液丸散内用方
後篇: 内障眼病名、湯液丸散内用方、附録、単方薬能篇、鍼灸治術篇、眼薬諸品禁水飛論、眼病禁忌
以上の目次により記述され、記載の要領は先ず薬品名、出典を上部に、その下に薬剤処方およびその用法の順に記している。 1例を挙げると、

加味荊黄湯 医学入門
主治 肝壅汚血両瞼上下生如粟尖或赤疼痛不甚旦堅硬者
荊芹、大黄、干房子(午房子か?)、甘艸、右四味水煎服

 本書はその引用された医書も多数におよび、宣明:『眼科』、田仁斉:『銀海精微』、愛学淵:『眼科全書』、伝国棟:『審視瑶函』、伝仁宇:『眼科大全』、侃偉徳:『原機啓微集』、『眼科龍木論』、『眼目科略抄』、『眼科新書』等の眼科書を初め、古代中国唐、宋、金、元、明代の医学書およそ67書を引用している。

 また、同じ嘉永3年(1850)に刊行された『古今精選目病真論』は全4巻よりなり、その内容は眼目総論を初め、眼の解剖、手術について記したものであるが、その各巻目次を挙げると以下の通りである。

第1巻・第2巻: 眼目総論、眼球窮理及光尖、眼解剖図、外障篇病名47症、外障眼病目図解
第3巻: 内障総論、内障弁明篇、内障所由、内障治不治弁、内障病篇、病名23症、眼病図16図
第4巻: 内外総證篇、手術の方法、利器及用器具図、門人姓名録(小川剣三郎著、中目樗山先生伝、実眼6:54)

 このように道cの眼科は多年いろいろな種類の医書を読み、それを基礎にして積み重ねられた眼科である。かつて道cが修業の身の頃、白内障鍼術の蘊奥を窮めようと志し、しばしば魚眼を実験台にして解剖を試み、常に研究心をもって努力していたが、遂にある日機会を得て一盲人の白内障手術を実試したところ幸に成功したということである。彼はこうして魚限の解剖知識をもとに人眼の構造を解明し、眼病の原因を追究していったようである。そうして眼病を外障眼病と内障眼病に大別し、その治療方や処方を多くの参考医書によって考え、薬方によって治るもの治らぬものを探し出し、その治らぬものへ手術療法を試み、内障のようなものは手術によって治るものと治らぬもののあることを弁じているところは彼の独学独行の研究心をよく現わしているように思われる。これらの著書を当時の眼科諸流派の秘伝書に列する時、漢蘭医方の折衷による本書の脱秘伝書的内容の幅広さを感ずる。

 

 

   
 
図1 『古今精選眼科方筌』 扉および外装(嘉永3年刊)
 

 

   
 
図2 図1と同書 前篇巻頭
 

 

(1984年5月 中泉、中泉、齋藤)

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