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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。

この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 眼科諸流派の秘伝書 (34)

43.『眼目養生秘伝書』(仮称)です。

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眼科諸流派の秘伝書(34)
43.眼目養生秘伝書(仮称)


 わが国の仏教医学は奈良時代に最盛期をむかえ、その後仏教の消長に伴って盛衰があり、およそ近世初期に至るまで存続した。それは多くの仏教経典によってもたらされた。『金光明最勝王経』『四分律』『維摩経』『摩訶僧祗律』『十誦律』等は医学を説いた仏典としてよく知られている。『金光明最勝王経』は鎖護国家の妙典として尊ばれ、国家平安の祈願に供せられ、護国経の第一とせられた外、この経には疾病の原因が説かれ、その症状および療法なども記述されているといわれる。これら仏教医学は釈迦の医学、つまりインド医学を伝えたもので、奈良時代の医学に大きな影響を及ぼした。また、 これら医学書的仏典と並んで広く読まれた経典に『妙法蓮華経』がある。この経はわが国へも早くより伝来し、推古天皇の御代に聖徳太子自ら講ぜられ、鎮護国家随一の妙典として読まれ、法の功徳と法罰を疾病にたとえて明解に述べられているので、広く一般民衆にもなじみのある経典といわれる。つまリ一般民衆の間では、病気を治療するのに医薬の力にたよるよりも神仏に祈誓し、加持祈祷によってこれを癒そうとする風潮があり、この経典を読めば病気が癒るものと信じ、深遠な仏の教えとしてよりも加持祈祷の意味に解して読まれたようである。

 こうした仏典がもたらした医術に関した教義の一部、例えば祈祷療法等を秘伝書の形で後世に伝えているものもある。ここに掲出の眼科書は江戸時代寛文の頃の書写本と推定されるが、そうした仏典(法華経)から出た類の秘伝書と考えられる。

 『眼目養生秘伝書』は墨付およそ39葉、全1冊(25.8×18.5cm)、 鳥絲界、毎半葉8行、漢字平仮名交り和文で書かれ、見出し項目として眼病禁忌之事、宮目薬者、明眼用之方等が挙げられている。

 眼病禁忌には次の10カ条の事柄が述べられている。
一.ひや水にて目をあらうべからず、
一.さけのむべからず、
一.日ぐれにこまかなる物をみるべからず。
一.雲の間に月をみるべからず。
一.ほのをにあたるべからず。
一.日のまへに花をみるべからず。
一.とう火のひかり久しくみるべからず。
一.くらくして日月のひかりむよう。
一.とおきところをひさしくみるべからず。
一.熱して目をあらい、しごく風呂に入るべからず。

 この眼病禁忌は馬嶋流眼科禁物に示されている○(瑤の王を女にした字)、酒、湯、音、行、怒、力、風、遠、細、白、に共通の条項もみられるが、少し異なる。

 明眼用之方においては青、赤、黄、白、及び、黒底ヒ等五色の底ヒ、上ヒ始、客霊、星推、篠推、指扇、簾膜、山根膜、爛膜、閉膜、虫膜、目星、分出膜、山本膜、藤膜、縛膜、大雨融、別膜、峯雲膜、重膜、蟹目、血道目、血目、 目瘡、 目蛭、 目鮹、疱瘡目、飛火目、中ヒ、上ヒ、病目、等の眼病名を挙げ簡単な眼病図を描き、各病名の下に内薬、指薬を示し治療法を述べている。ここに示された内薬、指薬の種類にはおよそ次のものが挙げられている。
内薬: 延命円、続命湯、五香三黄湯、潟肝湯、明眼地黄円、三黄円、十種洗散、洗眼散、明晴散。

指薬: 竜脳散、紫金膏、青梅散、紅梅散、楊梅散、辰砂○(さんずいに冗)血散、琥珀紫金膏、切薬、金明散、玉命散、竜脳丹数散、竜脳香煎、久立膏、病目薬、五金膏、照明膏、眼術散、明珠散、光明散。

これら秘薬の由来については宮目薬者の条に以下の様に述べている。
「一国に一人の外は相伝あるべからず、ただし慈悲正直にして無欲ならば相伝あるべし、この薬日本にわたる事聖徳太子の御時、一人の大子あり、それに従てほけきやうならびに此目の薬を云々……ほけきやう第8品のげをさづかりて此薬を釈尊梵語よりとき給へり、ほくわうぎば相伝ありて此薬を□□□にてときたまへり云々」とあり、法華経と共に古く日本にもたらされた目の薬はインド伝来の秘薬であったことが窺われる。

 また、本書の由来について次の様に記されている。
「夫此秘書と云者は天下無双の重宝也、一斯の内に一人より外は伝授せざる書なり、但し内には慈悲の心中を思い外には専ら正直無欲の心を本とする輩には一国に一人に是を伝うべし、然者此書と云者昔天竺霊鷲山に於て釈尊より法華経一部の肝文同く二句偈付属の其時此書を相伝す、又釈尊より梵語漢語を以て伝え、其後ほくわう耆婆に随て千万金を棒て給仕を棒て千万日に是を伝うしかのみならず聖徳太子の臣大唐より経渡す時、併に此耆婆相伝の書を然も舌より血出し起請文を書きて一期に一人より外は不可伝と云て扶桑国に渡ると云」

法華経二句偈文*
「具一切功徳 慈眼視衆生 福衆海無量是故応頂礼 南無廣目天王」"南無廣目天王"これは眼に薬を入れる時の文で、これを三返唱うべし、 と云う。

法華経之肝文
「其目深清浄悉見三千界」即ち其目深く清浄にして悉く三千界を見る、若し此文を何も懈怠なく毎日可唱然者寿命長遠息災延命にして眼明く可し、 と。
「惣じて眼者寒熱より起也、内薬を以て肝要とす、眼の病に於て科多しと雖大事の目是有、寒熱の目何の膜起其外佛罰外障内障是を合て五十分の注也、中に於て内障に針を立るとも、眼の黒白の堺を見分て立べし、万―針を立て損ずれば今生にて薬師如来の罰を蒙る、 来世で無間**に堕在す、生々世々盲人と成者也.療治諸薬等能々慎むべきが故也」と法華経の肝文が記されている。

 この様に本書は眼病の薬物治療を主に録したものであるが、内容的には本誌(臨眼37、No.1)既報の『明眼用方』所載の記述とほぼ同様であり、 インド釈迦の医学が中国(隋、唐)眼科を経てわが国に伝えられたものと推察される。また、本書には法華経偈句が引用されているところ、江戸時代半ばの写本と推定されるがその医説は未だ仏教医説の域にあることが窺える。

* 偈句:  仏教の詩歌  
** 無間:  梵語阿鼻の訳。八大地獄中の第8の最重苦処、堕獄の罪人痛苦を受け、休息の間断ない故この名がある。一無間地獄一  

 

文 献

小川剣三郎:  稿本日本眼科小史 11、13、吐鳳堂、東京、1904.  
富士川游:  日本医学史20、日新書院、東京、1943.  
服部敏良: 奈良時代医学の研究.23、東京堂、1945.  
福島義一: 日本眼科全書.1、日本眼科史、18、金原出版、東京、1954.  
服部敏良: 平安時代医学の研究.35、桑名文星堂、1955.  
石原明: 医史学概説.120、 医学書院、 東京、1955.  
石原明: 日本の医学.13、至文堂、東京、1959.  
服部敏良: 仏教経典を中心とした釈迦の医学.41、164、黎明書房、名古屋、1968.  
福永勝美: 仏教医学詳説 52、260、雄|山閣、東京、1972.  


*今回は画像はありません。

 

(1984年10月 中泉、中泉、齋藤)

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