45.生嶋殿相伝眼科秘伝書(仮称)
古い写本が原装のままで伝えられることはあまり多くなく、たいてい何らかのいたみがあるのが普通である。
本書は表紙や巻頭の部分を欠き、書名や書写年代等不明であるが、末葉の1行に「生嶋殿相伝也」と判読できる識語がある処より、その秘伝書と思われる。このようにその成立年代も定かでないが、片仮名文字の特徴、朱描眼病図の退色度合等からみる限り、あるいは江戸時代中頃の写本かと推定される。
本書は37葉、全1冊よりなり、横長(15.0×21.5cm)の写本で、片仮名交りの和文で記されている。内容は眼病療治、懸切の事、禁物、好物の事、針立次第の事、五臓論治の事、薬物の事、眼目病論治の事等について述べられている。眼病療治に挙げられた病名にはおよそ26を数え、その各々に素描の眼病図を付し、治療方法を述べている。
熱目気、藤目気、肝腎気、腎虚目、打目、中障、獅子目気、ツリ膜、血目気、カヨカリノ熱気目、病目外障、撞目、鳥目、自膜、蟹目、爛目、目頭ユカミ、目尻ユカミ、月輪、玉ノ上ニワキタル外障、アガリ目、マツゲ外障、赤内障、白内障、
ヌケ目、出目、眼病に対して食物の禁好を挙げている。
禁物魚之分
炉、貝類、黒鯛、生換、 ブリ、 生鯛、 腹、 イルカ、鰺、 クジラ、カレイ、スジ、カキ、 トリガイ、カモメ、ザコ、シビ、アンコウ、キジノ鳥、タコ、サバ、サメ
禁物雑食之分
山椒、豆腐、タテ、芹、カブナ、生梅、姜、スモモ、胡淑、煎物、瓜、 メン類、 海草、 ハタキ物、 コンニャク、藷芋、イエ芋
好物
葱、小豆、串柿、コネリ、メウタン、茄、葛、大根、カラシ、芋茎、ホシワラビ、粟、ユラ、トウボシノ餅、カウノ物
針便而禁物
川魚、辛物、油気、葱、 ソバ、 ササギ、 生大根、 生栗、芋類、餅類、酒、鮭、独活、マテ、ニシ
針便而好物
ヒラメ、カマス、エイ、カラサケ、アラメ、アジ、カネアワビ、ノシ、サイリ、ハモ、カツヲブシ、 ヒダコ、アマダイ。
薬物として主に使用されたものに、散薬では竜脳散、辰砂散、真珠散、珍珠散、虎肉散、虎謄散、紫石散、黄石散、天一散、上珠散、湯薬では明眼地黄湯、四物湯、黄連湯、芍薬湯等が挙げられ、この外病目、撞目、爛目、青内障には秘薬があるとしている。
眼目論治之事: ここには次の様な眼病名を挙げ、その病態を説明し、薬物の名を付している。
白膜、赤膜、杓膜、水膜、糸膜、目腸、指扇、目柱、目真、熱血目、内障、病目、清眼、ハ目、土入目、万目痛、黒眼星、俄目痛、
温病、 毒目入、 大目腸、 血マクレ、爛目、ヲトミツワリノ目、痘目、打目。
針立次第之事: この項では次のことが述べられている。
1.針立の位置
2.目尻、目頭に針を立てた時の処置
3.針を立て膿を引き出す方法
4.澄針のこと
5.針を立てて人見のゆがみを治す口伝
6.針の回数
7.針を立てる日、時、場所、針を立てる要領。
「惣じて底障療治は秘すべきものなり」とある。
懸切之事: 内障に針を立てる方法は前述の通りであるが、本秘伝書には懸切の方法について特に詳しい記載がある。懸切(掛切)というのは一種の釣(切カマ)を使用して血管をひきかけて裁断する方法と伝えられる。以下その種類を挙げてみる。
(1)
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片切卜云ハ憚テ切ヲ云也、 是者動心成間敷手ノ内ハタラカザル故也。 |
(2)
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ナデ切卜云ハハヲミツ、 ヒラヲミツ当ル云也、 是ハ中之手心也。 |
(3)
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フリ切卜云ハ足ノ先虫ノハウ如ク切ヲ云也、是ハ指之内ノアイシライタンレンニ有。 |
(4)
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カウシ切卜云ハ引刀之後上目縁強ハシカクテ痛ハ刀ヲサカ手二持テ可切也、則カウシノ如二成也。 |
(5)
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ソギ切卜云ハ目胞ヲ返シテ見ニイチゴヂシ生出タルヲ引刀ヲ横二持テソギ切ベシ。少キヲバ不切、
大成ヲ可切。 |
(6)
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地切卜云ハツリ膜之為残ヲ刀ヲ能トギテ物ヲケヅル様ニケヅル也、黒目之上二星外障有ヲ引刀ヲ横二持セツセットケヅル如二切事也。 |
(7)
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ワリ切卜云ハ黒目之上二星之チョボト出テ為ヲ十文字二星之タチ程ワリテ其上二熱金ヲ能ワカシテーツカスカニ可打亦当モスル。 |
(8)
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ヘヅリ切卜云ハ目尻目頭ヨリツリ膜之生出タルヲ切ヲ云也、 切様書二明シタリ。 |
(9)
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サカテ切卜云ハ取血シテ切ヲ云也、左右目尻目頭之不切ヲ可切。 |
(10)
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懸切卜云ハ白目之上二浮タル赤筋ノ有ヲ懸テ切事也。 |
(11)
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ホリ切卜云ハ沈ミ為筋有ハ先白目之上ノ皮ヲ懸切デ取テ能々筋ヲ見分テ切事肝要也。 |
(12)
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ワケ切卜云ハ胞卜玉トーツニ閉合事、是ハ閉膜卜云也、白目ト胞之間ヲ能々見分テ切也。 |
(13)
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スイ切卜云ハ鹿之袋角ヲ黒焼ニシテ細二研テ ニカフ トソク井ニテ 堅クコ子合テ凡如墨小指程ニシテ切ツメテ胞ヲ引返シテ押当テテチャウチャウトハナセバ血出ル也、一度付テハ切ロヲケヅル也、是血ヨル事有、スベカラズ、心得テ可指也、多当レバ目腫者也、
刀ヲツカエヌ者ノスル事也。 |
(14)
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ヘキ切卜云ハツリ膜之時ツリ膜ヲカギニ懸テ持上テ生キ物之皮ヲハグ如ク玉之上ヲ無理ニハナス也。 |
懸切についてはこのようにいろいろの方法が用いられたと思われるが、例えば"目頭ユガミ"という目の治療法に、「目尻之筋ヲ懸切二切テ熱金ヲ当テ塩消散ヲ可指」また"目尻ユガミ"という目の治療法として「目頭ヨリ筋可有、懸切ヲシテ熱金ヲ可当、亦ヌル金ヲ当テ塩消散ヲ可指」とありその方法は至って簡単に記されている。これは内斜視、外斜視の手術療法と思われるが、ともかく懸切はこのように当時から盛んに用いられたものと窺われる。
この様に本書は"五臓之論治"について述べられているところより、中国(明代)眼科書から眼病治療法の枢要を撰述したものと思われるが、眼病の禁好食物を選び、殊に針をして後のそれを挙げている点、眼病と食べ物との関係をよく考えられていたことが窺われる。しかし、その挙げられている食物のほとんどが魚貝類と植物性の食物であることは、当時の人達が動物の肉類を好まなかった様に考えられる。また、本書は他の眼科秘伝書に比べ懸切については大変詳しく述べている眼科秘伝書であるといえる。
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図1 『生嶋殿相伝眼科秘伝書』の最初のページ。表紙は失われている。
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図2 図1と同書。 針を使っての治療について述べられている。
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図3 図1・2と同書。 方剤について述べられている部分。
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