研医会通信  215号 

 2023.3.31
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この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『類證辨異全九集』所載の眼目門です。

 『類證辨異全九集』所載の眼目門

わが国の室町時代半には多くの若い僧侶たちが中国明国に渡り、彼地で諸々のことを学び帰国したといわれている。こうした入明の僧の一人に月湖を挙げることができる。

 

月湖については諸説があり確証はないようであるが、潤徳斎と号し、明監寺と称し、享徳2年(1453)に明国に渡り銭塘(現中国浙江省杭州、銭塘江近郊?)に住し、『全九集』を1452年(明の景泰3年序)に、1455年に『済陰方』を著わしたといわれている。これらはともに江戸再版本が現存する。しかし「両者は月湖に仮託して編纂された可能性が高く、月湖その人も虚構との説が有力」(真柳 誠, 医学大辞典, 医学書院, 2003)であるといわれている。

 

田代三喜(1465~1537)も明国に留学時、月湖に師事したと伝えられている。

 

一方、田代三喜(1465~1537)、名は導道、諱を三喜、支山人、 また範翁と号し、僧侶にして足利学校において主利陽に就き医学を学び、後に明に渡り李東垣(1180~1251)、朱丹渓(1281~1358)の医説を月湖らに学び、留学12年にして帰国した。その際『全九集』など書籍を持ち帰ったということの信憑性は高いといわれている。

 

さて、『全九集』すなわち『類證辨異全九集』は月湖が編繹したものといわれているが、 もともとの漢文体のものと、それを三喜を通じ曲直瀬道三(1507~1594)が和訳再編したといわれる和文体(和字)のものとある。漢文体のものは後に田澤仲舒により校正され、『新校全九集』として文政年間に発刊された。曲直瀬道三による和文体のものは永禄、天正、慶長、そして元和年代に書写にて伝えられ、江戸時代に入り元和古活字版をはじめ数種の刊本が発行されて、広く流布した。

 

そこで、 ここでは筆者らの手許にある和文体の『類證辨異全九集』と漢文体の『新校類證辨異全九集』の眼目門を紹介する。

 

和文体の『類證辨異全九集』は四周単辺、無界、毎半葉12行、毎行字数不定、漢字片仮名交り和文。版心: 上下黒口模様入魚尾、書名、巻、丁数。四針和綴、全7巻7冊、古活字版(刊年不詳)原装表紙、書題簽。

 

漢文体の『新校類證辨異全九集』は四周単辺有界、毎半葉9行、毎行20字詰、漢文。版心: 全九集、黒魚尾、巻、丁数。四針和綴、全4巻6冊、整版、模様入表紙、摺題簽。この書の第1冊目はじめには以下のような記載がある。

「文政改元6月 奈須恒徳の新校全九集序 景泰3年10月 陳叔舒の類證辨異全九集序」

また、第2冊目最尾に文政改元年11月 田澤仲舒識語が記載されている。

 

次にこの両書の眼目門の項目を挙げてみよう。

 

和文体『類證辨異全九集』

巻5 眼目門

内経ニ曰

五輪火ニ依ッテ病ヲナスノ論

治例

眼目ノ治方

二妙散:  肝ヲヤシナヒ目クラク、ナミダコボルゝニ良。以下用薬処方

洗肝湯:  肝実シテ眼ヲヤムヲ治ス。以下用薬処方

瀉肝散:  肝熱シテ眼アカクハレ痛ムヲ治ス。以下処方

撥雲散:  風毒ヲ散シ マケヲシリゾケ赤ク爛ルゝニヨシ。以下用薬処方

同銘:   男女風毒上リ攻メ目クラク、マケイデ熱涙ナガレ、マブタ赤クタダレ、マ

シリマガシラヨリ瘀肉サシ出テ人ミヲオカスヲ治ス。以下用薬処方

地黄散:    白マナコ赤ク、カユク、風二向ヘバナミダ出シブッテ開キ難キヲ治ス。

以下用薬処方

細辛飲:    眼晴イタミコラフベカラザルヲ治ス。以下用薬処方

明眼地黄円: 男女肝虚シ積熱ノボリ攻メマケ発リナミダ多ク俄ニアカキヲ治ス。

腎肝損シ風邪ノヲカスニヨシ。以下用薬処方

荊芥散:    肝経熱目アカクハルルヲ治ス。以下用薬処方

又一方:    ニワカニアカク熱シ腫レタル眼ヲ治ス。以下用薬処方

一方:      ナミダ出不レ留ヲ治ス。以下用薬処方

一方:      目中ノ百病ヲ治ス。以下用薬処方

一方:      虚労ノ眼ヲ治ス。以下用薬処方

龍脳散:  用薬処方

真珠散:  用薬処方

珍珠散:  眼目ノ諸疾ヲ治ス。以下用薬処方

 

月湖編・田澤新校『類證辨異全九集』

巻1下 眼目門

内経ニ曰……

五輪 烏晴日風輪属肝木……

目不因火則不病……

冷熱之二証……

治例……

洗方治暴赤眼……

點方……

又方……

治赤爛……

巻4下 眼目部

二妙散: 以下用薬処方

洗肝湯: 以下用薬処方

潟肝散: 以下用薬処方

一方: 以下用薬処方

撥雲散: 以下用薬処方

杞苓丸: 以下用薬処方

地黄丸: 以下用薬処方

細辛飲: 以下用薬処方

明眼地黄円: 以下用薬処方

荊芥散: 以下用薬処方

洗方

このように眼目門は曲直瀬道三の和文体『全九集』では巻5に、また、月湖の漢文体『全九集』には巻1下に眼目門、巻4下に眼目部を分けて記載している。

 

本書には多くの人名や書名が挙げられ、諸々の医論や医説が引用されている。例えば和文『全九集』にはおよそ以下のように掲げられている。

人名: 岐伯、扁鵠、華佗、孫真人、黎居士、倉公、丹漢、愁康、道林、雷公、東垣、潔古、陶隠居、王奉朝、日華子、、陳臓器、蘓恭、呉氏、孟詵、劉河間、危亦林、秦烝祖道軒

書名: 内経、素間、医学発明、蔵氣法時論、衍義、医經、玉機微義、湯液、図經、本經、唐本、本草、局方、心法、海薬、薬性論、千金方、集験、聖恵、斗門、養性論、食療、活人書、難經、和剤方、脉經、奇効良方、病機機要、仲景脉法、要略、外台秘要方、養生方、三因方、産書、産宝、灸經、外台明堂、医書大全、寿域神方、資生經(順不定)

 

月湖は景泰3年に『類證辨異全九集』を、次いで同6年には『大徳済陰方』(巻上下、4冊)を編纂している。『大徳済陰方』は延宝8年(1680)に京一条通角屋清衛門より版本が出され、元禄5年(1692)版『廣益書籍目録大全』巻4には婦人書として録されている。

 

このように月湖の著作とされる医書は古くからわが国にもたらされ、広く流布し、わが国の医学発展に役立った貴重な文献である。

 

■主な参考文献

1曲直瀬道三: 能毒上・中・下. 書林道也、1633

2永田調兵衛: 廣益書籍目録大全. 巻4.永田調兵衛、 1692

3)奈須柳村: 本朝医談.揚柳居蔵板、1822

4)蓼温仁: 支那中世医学史. カニヤ書店  1932

5)浅田栗園: 皇国名医伝.前篇巻下.勿誤薬室蔵  1873

6)富士川游: 日本医学史。日新書院  1943

7)中泉行正: 我国医学の発展と全九集. 綜合医学15:9  1958

8)東亜医学協会: 日本の漢方を築いた人々.  漢方の臨牀 19: 11-12  1962

9)矢数道明: 近世漢方医学史. 名著出版  1982

10 )柳田征司: 曲直瀬道三類證辮異全九集. 勉誠社  1982

11)小曽戸洋: 中国医学古典と日本 書誌と伝承. 塙書  1996

12)遠藤次郎・中村輝子: 「全九集」の編纂者とその意図. 日本医史学雑誌 44: 230  1998

13)遠藤次郎・中村輝子: 田代三喜が中国から持ち帰ったといわれる「大徳済陰方」の検討. 

日本医史学雑誌 45: 266  1999

14)遠藤次郎・中村輝子: 曲直瀬道三の前半期の医学(1)「当流」の意義.

日本医史学雑誌 45: 323  1999

15)遠藤次郎・中村輝子:「導道・三喜別人説」の検討. 日本医史学雑誌 44: 481  1998

 

 

 

 

                                    図1『類證辨異全九集』(古活字版)

 

 

 

 

                                            図2 図1同書の眼目門

 

 

 

 

                                     図3『類證辨異全九集』(新校)巻頭

 

 

 

 

                                         図4『大徳済陰方』の序文

 

 

 

 

                                    図5 図4同書の序文つづきと目録の最初                                    

 

 

 

 

 

           

 

               図6  図4同書の刊記

 

 

 

斎藤、中泉、林 2007