『続高僧伝』巻第九 唐 道宣 撰
先月は鑑真和上の伝記だったので、同じような資料として、今月は『続高僧伝』をご紹介します。といっても、当館で保管しているものは第九巻のみです。題箋には「續高僧傳巻第九」、巻頭には「石山寺一切経」の文字があります。
この第九巻に収められているのは、「義解篇五」で、隋時代の僧侶十名の伝記が書かれています。以下、その名を挙げておきます。
隋 蘘州 龍泉寺 釈 恵桰(哲) 伝一
隋 江表 徐方寺 釈 恵〇(日+恒)伝二
隋 常州 安國寺 釈 恵弼 伝三
隋 相州 演空寺 釈 霊裕 伝四
隋 西京 空観寺 釈 恵蔵 伝五
隋 東都内 恵日道場 釈 智脱 伝六
隋 東都内 恵日道場 釈 法燈 伝七
隋 東都内 恵日道場 釈 道荘 伝八
隋 東都内 恵日道場 釈 法論 伝九
隋 京都 大興善道場 釈 僧粂 伝十
龍谷大学がウェブ上で公開している(https://da.library.ryukoku.ac.jp/page/210710)『続高僧伝』では第五冊に当該箇所がありますが、益州と荊州の4名の僧侶の名が加わっており、この石山寺の巻物の資料とは内容が異なるようです。
十名の名前のうち、最後の大興善寺は隋の国立仏教研究所のような存在であった道場で、国外からの留学生が招かれた場所でした。煬帝(569-618,在位は604-618)は開皇九年(589)江南の陳を滅ぼし中国を統一しましたが、陳の名僧としてすでに有名であった慧乗を家僧として招き近侍させます。慧乗は高昌王麹氏に『金光明経』を講義したことで有名な僧侶です。この「慧」は「恵」と通じていますから、この九巻に名の挙がっている「恵」の文字をその名に含む僧侶たちは同じ流れの人たちなのでしょう。
最近、隋代という時代を見直したり、煬帝の事蹟を再評価する動きがあるとも聞いています。隋代の高僧伝も役に立つかもしれません。