2024.07.31
『杏林叢書』第一輯
富士川游・小川剣三郎・唐澤光徳・尼子四郎:編集
吐鳳堂書店 大正11年
吐鳳堂という書店の名前は、研医会図書館の蔵書の中にもよく見られる名前です。その吐鳳堂の創業者、田中増蔵氏の七回忌を記念して出版された『杏林叢書』第一集をご紹介します。田中増蔵氏は「国家社会のために有要の書籍を出版するに、自己の利益をば顧みぬという執實と氣概とがあつた」人で、その遺志を受けてこの本が作られた、と巻頭の序文に書かれています。
内容は医家の随筆雑著なのですが、明治以来の学問の趨勢から、この分野の書物は「多く廃滅に帰し、殊に随筆雑著の類は散佚してその今日に伝うるものは極めて稀」であるという状況の中、この本が作られたということです。
確かに、『図書館雑誌』7月号(公益社団法人 日本図書館協会 発行 2024)にも、こうした問題が取り上げられており、今なお図書館の問題であり、社会の問題のようです。『図書館雑誌』の「エフェメラと図書館 —— あるいは、日々は如何にして歴史のページに繰り入れられるか——」という記事に出てくる、“エフェメラ”とは、後世の参照を念頭に置かず、当座の関心から生み出された一過性の印刷物、と説明していますが、後世に本当の時代の姿を伝えるのはこのような一過性のものであり、またきれいに整えられる以前の雑多な資料であったりするものです。
今、私たちは『杏林叢書』が取り上げている7つの資料について、雑多な資料、とは思いません。しかし、これは富士川先生たちがこのように叢書にまとめてくださったおかげで、これらの資料が重要なのだと認識しているのではないでしょうか。つまり、私たちも日々の中に埋没してしまいそうな資料の中から、後世へ伝えていくべきものを取上げてまとめていくという作業をしなければならないと思えます。
蛇足ですが、この本には小さな紙きれが挟んであり、「本書収載『病の草紙』及『新撰病草紙』中 白紙四頁は 其の筋の命に依りて挿図を削除せるものなり。読者の諒恕を乞ふ」と印刷されています。医学に関することとはいえ、下品な表現を許さなかった大正時代の官吏の厳しさがわかります。
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