研医会通信  235号 

 2024.11.27

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研医会図書館は近現代の眼科医書と医学関連の古い書物を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の資料をご紹介いたします。

今回は 『東大寺献物帳』(帝室博物館 出版)です。

 

 『東大寺献物帳』 初版:明治13年12月  四版:大正15年3月

 

 図1  『東大寺献物帳』表紙

 

 

『東大寺献物帳』 明治1312月初版 東京帝室博物館

大正15年3月 四版 

 

 

今月は東大寺の献納宝物の台帳の複製である『東大寺献物帳』をご紹介します。

奈良時代、聖武天皇が崩御なさった後、光明皇后は先帝のために東大寺大仏に宝物を奉りました。その時の台帳を明治時代、東京帝室博物館が複製して出版したもので、「定価金壱圓五拾銭」と書かれています。雲英の入った表紙が付き、元の巻子の様子を伝えるためか縦30センチの大判で作られた冊子です。

 

巻頭には「皇太后御製」として、光明皇太后の願文があります。先帝の近くにあった牙、笏、弓、箙、刀、劔、また書や楽器を供養のために東大寺盧舎那仏および諸仏一切の賢聖に奉ると書かれ、その願文に続いて施入する物品のリストがあります。

 

袈裟九領、厨子一口に始まり、正倉院展に出陳される宝物が列挙されます。光明皇后の御書「杜家立成」「楽毅論」、王義之の書法を伝える20巻、文房用具と思われる小刀、紫檀や犀角の把を持つ刀子、正倉院展でいつも人気の紅牙撥鏤尺、仏具の念珠、琴、琵琶、笛などの楽器、双六の盤などゲームに使われたもの、ここまでが約14ページに渡って書かれます。

 

次に45ページほどを費やして書かれるのが、武器や武具です。双行の説明文を読むと、それはおそらく儀礼用のものであったと思われますが、昔読んだ新書で、光明皇太后は、政治的な不安定さの中で、武器を東大寺に預けることで、変事を防いだという解説もありました。真実はどうだったのでしょう。最近、ロシアの映画会社が持っていた戦車が軍へ渡されたという報道を見かけましたが、古いもの、儀礼用のものであっても、武器というものは、いざという時には使えるものなのでしょうか。

 

しかし、刀、弓、甲の後には、20ページほど、鏡と屏風のリストがありますから、やはり、この武器・武具は天皇の力を示す近衛兵用のものであったのでしょう。武器・武具というものは、戦うためだけでなく、統治者の威厳を示すものとしても使われますから、そうした意味では、光明皇太后は思わぬ人物がこうした「王」を飾る道具を使わぬように、東大寺に預けたということなのでしょう。

 

明治から大正の時代に、こうした献物帳の複製が作られ、四版も重ねたということも、時代を反映していることですね。

 

 

 

   図2 同本の巻頭

 

   図3 螺鈿紫檀琵琶などの楽毅が並ぶページ

 

   図4 金銀で飾られた大刀の並ぶページ

 

   図5  この後の時代、反乱を起こす仲麻呂が筆頭の署名

 

   図6  博物館の跋文が崩し字で記される。