わが国の南北朝から室町時代末頃までの翻刻書の中には仏教書以外に『論語』や『三体詩』等種々挙げることができるが、医書としては大永8年(1528)阿佐井野宗瑞覆明刊の明・熊宗立撰『新編名方類證医書大全』、天文5年(1536)谷野一栢覆明刊の明・熊宗立撰『俗解八十一難経』等があるだけである。
越前版『俗解八十一難経』は天文5年9月9日越前国一乗谷城下の高尾において、朝倉孝景(宗淳)に招かれた南部の僧医、谷野一栢(雲庵、連山老人)が明版をもって覆刊したものであり、わが国医書出版として第2番目のものである。
天文版論語(天文2年刊)の開板は阿佐井野家の何人によって行なわれたか明らかではないが、阿佐井野家の開板としてはその他に『医書大全』と『三体詩』等がある。
大永8年、泉南の阿佐井野宗瑞(堺の人、婦人科医、〈非医師説有り〉享禄4年5月歿、法名 雪庭宗瑞居士)(三木栄博士)が覆明刊した『新編名方類證医書大全』(図1)はわが国医書開板の濫觴を成すもので誠に貴重である。
この大永版『医書大全』は阿佐井野宗瑞が明版を基にして覆刊したといわれ、その何年版が使用されたのか明確ではないが、日本の大永8年版として流布している『医書大全』には明の成化3年(1467)熊氏種徳堂刊と刊年が入っているところから、この成化版が用いられたのではなかろうかといわれている。
『新編名方類證医書大全』は序文および目録(1冊)、『医学源流』(1冊)、本文24巻(8冊)の計10冊より成り、明・天順2年(1458)呉高尚、明・正統11年(1446)熊宗立の序文があり、次に目録が掲げられ(図2)、『医学源流』は別に1冊綴りになっている。
『医学源流』(図3)は中国古代、三皇から元までの著名医家の事蹟を書いたものであるが、この本はもと別人(熊均)が書いたものを合刻したのではあるまいか(岡西為人博士)、という説もあり、『医書大全』の一部であったのか、全然別人の書いた単行本であったのか明確ではない。ちなみに熊均と熊宗立については『漢土諸家人物志』(寛政12年改刻)の熊均の下に、「字ハ宗立道軒ト号ス、自ラ勿聽*子ト号ス、建陽ノ人、劉?ニ従テ学ブ、兼テ、陰陽医トノ術ニ通ジ、難経、脉訣ヲ注ス。著述婦人良方、医書大全、薬性賦補遺集、医学源流、運氣図括等。」とある。
『医書大全』は各巻に門を分ち、各門に類をわけ、各類には方を載せ、方名の上に更に一、二、三、四・・・・・・の数を挙げて標記し、目録と本文を互いに相通じ合うようにしてある。すなわち24巻に次のような門を挙げている。
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